NPO法人 松戸市学童保育の会のあゆみ―2003年度~2012年度-

1.法人運営スタート
「NPO法人 松戸市学童保育の会(以下、保育の会)」は2003年4月に次の基本理念を運営規約に掲げ、12学童保育所565名の入所児童でスタートしました。
① 希望するすべての子どもが学童保育所に入所することをめざします。
② 保育内容の向上をめざし、施設の改善や指導員の研修の充実に努めます。
③ 指導員の待遇改善を始め、働きやすい環境を整えます。
④ 保護者負担(保育料)の軽減に努めます。

2.多人数保育問題
2003年度では、児童数が80名を超えるところは1か所でしたが、翌年には3か所となり、多人数保育の問題がクローズアップされてきました。松戸市は各学童保育所の定員を40名か60名に設定しており、40名定員の施設で80名の子どもたちが生活しているという状態になりました。

中でも小金北学童保育所(小金北小学校内)には近くにある殿平賀小学校の子どもたちも通っていたため、保育の会が独自に殿平賀小学校区に一戸建てを借用して、2006年から分室を開設しました。保育の会は、松戸市に殿平賀小学校内にも学童保育所を作ることを要望し続けた結果、2009年に設置が決まりました。しかし、松戸市は設置の際に「新設学童保育所」と扱い、運営法人を公募しました。保育の会も応募しようとしましたが、運営実績があるにもかかわらず、保育の会がすでに12か所の学童保育所を運営していることを理由に、松戸市は公募の対象から除外しました。異議申し立てを行いましたが認められず、2009年に3年間運営した殿平賀分室に幕を閉じざるを得ませんでした。

寒風台小学校と上本郷小学校の学童保育所は、それぞれ単一学区であるにもかかわらず児童数が増加したため、2008年から保育の会が独自で、それぞれ一戸建てを借用して分室を開設しました。一戸建ての借用費用は、後に松戸市が補助金の対象にしたものの、当初は保育の会が負担したため運営財政が大きな影響を受けました。

その後も各学童保育所で児童数が増加し、学校のご理解ご協力を得て、余剰教室を借用して子どもたちの生活の場を確保してきました。それでも年々増加する児童数に施設が不足する状態が現在に至るまで続いています。

3.国が放課後児童クラブガイドラインを策定
2007年に国は「放課後児童クラブガイドライン」を策定しました。このガイドラインは「生活の場としている児童の健全育成を図る観点から、質の向上に資する目的」で策定したと自治体に通知されています。
その中で「規模・施設」については「おおむね40人程度までにすることが望ましい。最大は70人までとすること」、「専用スペース(施設)を設けること」、「児童1人当たり1.65㎡以上の面積を確保することが望ましい」としています。
同時に「指導員の役割と活動内容」、「保護者への支援・連携」などが記載され、それぞれ厚生労働省が2014年に最低基準と位置づけた「放課後児童健全育成事業の設備及び運営に関する基準」と、2014年に子どもの健全な育成と遊び及び生活の支援を定めた「放課後児童クラブ運営指針」の原型となりました。
「望ましい方向を示す」というガイドラインの内容は、「最低基準」とした「設備及び運営に関する基準」に発展して引き継がれました。

4.70人問題(覚書問題)と独自の高学年受け入れ
2007年の「放課後児童クラブガイドライン」の策定に伴い、国は自治体への補助金をおおむね40名規模の施設には厚く、70名を超える施設には薄くして規模の適正化を図る施策を打ち出しました。しかし松戸市は、適正規模化よりも最大70名の方を重視し、2009年に運営法人の代表で構成する協議会会長と「松戸市放課後児童クラブ運営に関する覚書」を取り交わし、「年間平均児童数は70名を超えないこと」、「70名を超えない場合は、法人が認めた6年生までとする」こととしました。これは、児童数が70名を超える場合は、4年生から6年生の入所を制限することを意味しました。これを受けて保育の会は、設立理念である「希望する児童の全員入所」を継続するため、松戸市に分割による適正規模化を要望するとともに、保育の会独自で全員を受け入れるための準備を進めました。
2010年に覚書が施行され、利用制限対象となった高学年児童に対する補助金が交付されなくなりましたが、保育の会は保護者の理解を得て保育料を増額し、全員受け入れを継続しました。同年、本郷谷健次・現市長が初当選し、翌年の2011年には、松戸市は「1年生から6年生全員を補助対象にする」と施策を変更し、覚書は1年間で事実上破棄されることになりました。

5.保育料軽減の成果と財政問題
2011年、松戸市は1回目の保育料軽減を行いました。このこと自体は保護者負担の軽減を掲げてきた保育の会の基本理念に沿うことで歓迎すべきことでした。その一方で、保育の会は保育料と補助金で運営しているため、保育料収入が減少する分だけ補助金による補填が必要でしたが、補填が不十分だったため保育の会は財政難に陥りました。経費の節約に努めましたが賄いきれず、止むを得ず指導員の処遇を下げざるを得ないという、大きな影響を受けることになりました。
2017年に2回目の保育料軽減が行われ、同様の問題がさらに広がり運営に大きく支障をきたすことになりました。処遇の低さから指導員の退職と入れ替わりが続いたため、子どもたちが落ち着かず不安が広がるという、保育への悪影響が生じました。改めて指導員が長く働き続けられる処遇改善が、子どもたちの安定した生活に直結していることを痛感することになりました。

6.おひさまフェスタ・10周年記念行事
学童保育の歴史の中で大切にしてきた「豊かな体験を通して子どもたちに健やかに育ってほしい」という保護者の願いを継承し、保育の会は基本理念に「保育内容の向上」を掲げています。そのために各学童保育所の指導員全員による職員部会を立ち上げ、研修・情報交換、悩みの相談など、横のつながりを大切にしてきました。
その職員部会は「全学童保育所が集まって子どもたちに何かできないか」と考え、保育の会がスタートして2年目の2004年に「第1回おひさまフェスタ」を開催しました。保護者の参加も呼び掛け、工作や長縄などのあそびのコーナーを各学童保育所が受け持ち、子どもたちも保護者もフェスタを楽しみました。中には本物のザリガニ釣りをする学童保育所もありました。
2007年の第4回からは、開催の目的を「子どもたちへのあそびの普及」を掲げ、日本の伝承遊びであるコマ・けん玉を取り入れました。コマ・けん玉を通して教える・教わる、大きい子の技にあこがれて一生懸命練習するなど、日々のあそびに定着し、技術だけではなく「人と人とのかかわりを学ぶ」機会にもなりました。また、学校の生活科の授業で「ちびっこ先生」になり、子ども自身が自信をつけるきっかけにもなっています。
その後のフェスタでは、マンカラや一輪車、長縄などあそびの数を増やし、同時にこれらを日々の保育の中に取り入れることで、子どもたちのあそびの幅を広げてきました。 
保育の会創立から10年を迎えた2013年1月には「法人創立10周年記念行事」を「森のホール21」で行い、市長のごあいさつ、法人のあゆみ、子どもたちの発表を行いました。子どもたちの発表は、フェスタで取り組んできたコマ・けん玉を中心に行い、その一生懸命挑戦する姿が保護者の感動を呼ぶものとなりました。

7.三大行事(キャンプ・学童まつり・入所卒所式)
保育の会が運営する前から、各学童保育所では「子どもたちの豊かな体験」、「保護者と保護者のつながりづくり」、「みんなで子どもたちを育てる」という目的で「キャンプ」、「学童まつり」、「入所卒所式」が行われてきました。保育の会はその目的を継承し、三大行事として保護者会に推奨してきました。
三大行事は保護者会の主催であり、実施の有無や内容は保護者会に委ねていますが、OBの子どもたちから「キャンプが一番楽しかった」、「学童まつりが思い出になっている」という声をたくさん聞きます。また、卒業後も保護者OBのつながりが続いているという声も聞きます。
三大行事は「よい子ども時代をおくること」、「よい保護者同士の関係づくり」につながるものとして、現在も大切にしています。

8.東日本大震災
2011年3月11日に起きた東日本大震災は、東北地方を中心に大きな被害をもたらしました。
保育の会が運営する学童保育所でも保育中に強い揺れが続き、子どもたちも指導員も大きな不安を抱きながら保護者のお迎えを待つことになりました。幸い人的にも施設的にも大きな被害はありませんでしたが、保護者との連絡では電話が通じず、かろうじてメールがつながる状態で、中には連絡が取れない保護者もいました。
保育の会は日頃から、災害時は「全員のお迎えがあるまで保育を続ける」ことを指導員に周知しており、最後にお迎えが来たのは日付が変わる頃になりましたが、全員を無事に送り返すことができました。
この大震災は保育の会にとって「子どもを最後まで守る」という社会的な責任がある事業を行っているということ再認識する機会となり、決して忘れてはいけないこととして心に刻むことになりました。またこれを契機に、緊急時マニュアルを大幅に改訂し、指導員に周知するとともに、保護者に配布しました。